仮面ライダーゼロワン 第6話を見た。
今回は亡き家族を模したヒューマギアと滅亡迅雷.netの迅のお話について
今回は親子というのがキーワード。
亡くなった家族そっくりのヒューマギアを作ってはいけないと言うのは、少し厳しいと思うかもしれないが仕方ないことなのかもしれない。
だって今回の社長のように大切に扱ってくれるとは限らないからね。
それこそドライブの蛮野みたいにメタクソに扱う人間も存在する可能性は大いにある。
それに大切にすると言っても、社長の娘にすがっている姿がとても痛ましいもので、一種のホラー味まで感じるほどだった。
ヒューマギアとの付き合い方はなかなか難しい。
しかし社長がこれまで大切にしてきたからこそ時間が芽生えたといってもいいかもしれない。
とても感動的なのだがそれが余計マギア化の残酷さを物語っているような気がする。
あとびっくりなのが、迅がヒューマギアだったということ。
あのあどけなさは子供特有なものだと思っていたがそれすらデータとしあのあどけなさは子供特有なものだと思っていたが、その人格データとしてインプットされたものだと思うと、その人格がなぜ設定されたのかが気になる。
滅が普通の悪役なら自分の息子を模したとしてもおかしくないが、滅自身が人間なのかヒューマギアなのか、もしくは全く別の存在なのか断定ができないので、謎である。
話の流れ的に迅が主人公サイドに入ってくる可能性もなくはないかなと思った。
フライングファルコンは帰ってくるかもしれないし、迅の行動も悪役に染まり切ってるわけではないと思われたので、どうなるか気になるところ。
今度のヒューマギアは教師タイプ。
教職員の多忙さを考えると人工知能にお願いしたくなるのもわかる。