tiktokを初めて見た。
最近話題の動画系SNS
「tiktok」
1ヶ月ほど前にダウンロードしたが、なぜか動画を見ようと言う気が起きず、あまり見ていなかったが最近ちょくちょくになって見るようになってきた。
おもしろ動画だけでなくパフォーマンスや料理動画など、自分が思ってた以上のジャンルが存在していることにびっくりした。
いろいろな動画を見た中で自分が気になったのはやっぱり中高生の動画が多いなぁと言うふうに感じたもともと中高生に人気と言う事は耳にしていたが、放課後の楽しい一幕を動画に撮ってtiktokに投稿している、というような感じで、
「自分の学生時代にtiktokがあったらとても面白かっただろうなぁ」
と思った。
全ての学校でtiktokが全面的に受け入れられているとは考えにくいが、それでもこそこそ内緒で使ってみるとか学校外での出来事を撮って投稿するなどはありそう。
じゃあ今自分がtiktokを使って何かを投稿したいのかと言われると難しいなと思った。
動画にするようなネタがなければ、動画にしたいと言うような熱意もあまりない。
自分は動画を撮るという行為だけでなく、ゲームをするだとか、自分の好きなジャンルの二次創作を探すだとかの自分の趣味に対するエネルギーも昔に比べてなくなっていたなと言うふうに思えてきた。
熱中したほうが人生楽しいと言うのは頭ではわかっているのだがどうしても手軽な方へと流れてしまう。
そんな自分とtiktokに動画を投稿している中高生を比べていると、とても輝かしいものを見ているという気持ちが出てくる反面、うらやましいと言う感情も出てくる。
「自分もそれだけ熱中したいなぁ」
「腹の底から笑って羨ましいなぁ」
楽しいものを見ているはずなのに辛い気持ちも出てくる。
こういった感情は以前にも出てきたがその時は、
「自分てそんなにこのコンテンツに対して愛情がなかったのかもしれない」
という自分なりの解釈をしていた。
しかし最近、
「消費者側で居続けるよりも生産者になる方がメリットが多い」
という話をどこかで聞いて、自分は常に見たり聞いたりするだけだったと実感した。
「受け手側で楽しみ続けるということに限界が来ている」
と言うことかもしれない。
今はこうやってブログを書くことが自分の唯一の発信方法となっている。
しかしこれが熱中するほどの趣味になってるかというと微妙なところではある。
ほぼ毎日自分のことや身の回りの事について話しているが脳からドーパミンが出るような楽しさを感じると言う事は無い。
よくよく考えてみれば、
「日記のようなものを書くというスタンスが前提」
だったので、日記を書いてるときにドーパミンがどばどば出るって言う事はあまり聞いたことがない。
自分がどのような幸せを噛みたいのかそのためにはどのようなことをすると良いのかを考える必要がある。
せっかくtiktokを見始めたんだから、何か面白いこと言ってたらコッソリ一人で真似してやってみようと思う。